ITALY 2
(イタリア2)
1991.1.3〜1.7
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ドイツ2
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CAPRI
(カプリ島)
ナポリの沖合いに浮かぶ「碧い海」の島、カプリ島。
連絡船に乗るのは、貧乏な僕には決死の贅沢だったが、訪れる価値はあった。
吸い込まれそうな「青い」いや、「碧い」海がそこにあった。
「青の洞窟」っていうパスタがありますが、あれ、ここのことです。
POMPEI
(ポンペイ)
子供の頃、この町のことを本で読んで以来、いつか行ってみるのが夢だった
伝説の町「ポンペイ」。ついに夢がかなった。
2000年前のヴェスヴィオ火山の噴火で一瞬にして埋もれた古代都市は、
当時のままの姿で蘇っていた。
今でも、町の何処からでも、ヴェスヴィオ火山を望むことができる。
町の中心、フォロ(広場)より、火山を望む
当時のままの道路。石畳に馬車の轍が残る
とある家の中。床や壁の模様が美しい
。
円形劇場。ここで、どんな演目が上演されたのか。
ROMA
(ローマ)
ローマは、町の中に突然巨大な遺跡や彫像が現れる、
近代都市と古代都市が混在したような不思議な町だった。
僕は旅の最後を迎えるこの町で、ハメをはずそう・・・と思ったが、
もうすでに、金は底をついていた。
コンスタンティヌス帝の凱旋門。
ローマ市内のど真ん中にある巨大遺跡
フォロ・ロマーノの入口に立っている。
バックには、かの有名なコロッセオ。
コロッセオの内部。総観客収容数、5万人の巨大な円型競技場。
ここで、囚人や剣闘士、猛獣などが殺し合いをして、観客が熱狂したというから、凄い。
競技が行われたフィールド部分は崩れて無くなり、
猛獣や囚人が収容されていた檻のような地下の小部屋がむき出しになっている
。
テヴェレ川より、ヴァチカン・サンピエトロ寺院を望む
長かった僕のヨーロッパ一人旅も、ここローマにて最後を迎えた。
2ヶ月半の間、辛いこともたくさんあった。
ホテルで全く言葉が通じずに、冷たくされて悲しくなったことや、
バスの乗り場がわからず1日中途方に暮れたこと、
ユースの相部屋でいかがわしい行商人が夜通し商談をしていて恐かったこと。
3日に1回は、どうしようもなく寂しくなり、日本に帰りたくなった。
それでも、言葉の通じない異国の地を、たった一人で旅ができたのは、
きっと帰りたくなるたびに、素晴らしい出逢いがあったからだと思う。
ブレーメンのYHで知り合った英国紳士スミスさん、ドイツ国鉄の日本語勉強中の車掌さん、
地図を持って歩く僕を、息せき切って追いかけてきて「メイアイ・ヘルプ・ユー?」と声かけてくれたおばあちゃん、
「私、大きくなったら日本に行きたい」目を輝かせたポーランドの少女・ドロータ、
ブリュッセルの仙人のような絵描き老人、クラクフ大学日本語学科のお姉さん達、
気ままに世界一周をしていた川上さん夫妻、お米を炊いてくれたフュッセンの安宿のおばさん、
ザルツブルクで修行中の音楽家・韓国人の朴さん、オランダの体操選手レネーさん、
髭の熊さん、陽気な京都人・咸さん、河田と熊さん(その2)。
そして、美しく素晴らしいヨーロッパの町々。
セントポール大寺院、ブリュッセルのグランプラス、ブレーメンの音楽隊、ブランデンブルク門、
ポーランドの美しい風景、ライン川の古城、ローテンブルク、ノイシュバンシュタイン城、
ザルツブルク、ブダペスト、マッターホルンとツェルマット、クリスマスのシャンゼリゼ、
古都トレド、ドンキホーテ、セゴヴィアの水道橋、ポルトガルの青い海、アルハンブラ宮殿、
サグラダファミリア教会、ピサの斜塔、フィレンツェ、シエナ、ヴェネツィアの初日の出、
ポンペイ、ナポリ、ヴァチカンのサンピエトロ寺院・・・
この旅での見たこと、出会った人、経験したことは、きっといつまでも忘れない。
帰国した日本は、成人式の晴れ着姿の若者であふれていた。
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