2003年初冬  沖縄・那覇マラソン 

第二章「さとうきび畑と白い風車の丘、平和の島で想う」

第一章「ちばりよ!ウチナンチューの声援は熱く、熱く」

 

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

 マラソンはある意味、ヨガとか禅に近い、と僕は思っている。一種の「瞑想」なのだ。無心に走る。しだいに周囲の声援や他のランナーの息づかいが消えていき、心だけがどこか遠くに飛んでいってしまう。聞こえるのは、自分の息づかいと心臓の鼓動と足音だけ。そうなるとしめたものだ。走っているのが苦しくなくなる。いわゆる、これがランニング・ハイってやつか。(・・・本当のランニング・ハイというのは、一流ランナーでも生涯に数回しか経験しないらしい。「苦しくない」というよりは、「気持ちいい」らしい。)
「今ここにいるのは、自分と、回る地球だけ。」そんな気になる。やがて瞑想状態の頭の中には、いつも何か、メロディーが流れ出す。メロディーはそのときによって違う。朝のテレビでたまたま流れていたCMソングだったり、意味不明だが昔の小学校の校歌だったり。
03年の那覇マラソンでは、「さとうきび畑の唄」だった。

今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる
夏の ひざしの中で・・・・・

 最近見たドラマの挿入歌だ。那覇の街を抜けるとすぐに、歌詞の通り「見わたすかぎり」のさとうきび畑が広がる。ただし、12月のさとうきび畑には「緑」ではなく、「山吹色」の波がうねる。空はどこまでも青く、風は爽やかだ。
さとうきび畑の小高い丘の頂点に向かって伸びる、長い長い坂を昇る。さすがに瞑想状態が冷めて、ややきつくなってくる。やがて丘の頂点まで達したとき、その向こうに大きな大きな白い風車が姿を現した。それもひとつじゃなく、何基も立っている。単純な僕は、この光景を前にして、早速感動してしまう。目頭が熱くなる。僕は、風車が好きだ。ウランも石油も使わずに、風を受けてくるくる回るだけで、人を暖かくしたり、家を明るくしたり、夜の街をロマンチックに染め上げたりする。風車はえらい。
 白く大きな風車と、山吹色のなだらかな稜線。さらにその先の、青くて大きな海と、青くて広い空。眼下に広がるこの光景は、「平和」を象徴しているようだ。
 

昔 海の 向こうから いくさが やってきた
 あの日 鉄の 雨にうたれ 父は 死んでいった
 夏の ひざしの中で・・・・

 01年の暮れ、皇居チャリティマラソンの体験記の中で、次のような想いを書いた。ニューヨークの同時多発テロの直後だった。

 「世界では、いつもどこかで、戦争をやっている。でも、僕は思う。いつか、全ての子供たちの前から戦争が無くなって、民族や宗教の垣根を越えて、たとえばマラソン大会なんかに集える日が来てほしい。よく晴れた日曜日、みんなでワイワイ集まって、ゼッケン貰って、走って走って、いい汗かいて、ゴールして。スポーツドリンク貰って、みかん貰って、夏はアイス、冬は豚汁。ビール飲んで(あっ、子供はジュースね)、楽しく家路につく。アラブもユダヤもアメリカも、みんな一緒に参加賞貰って帰る・・・。愛子さまが大人になる頃に、そんな世界になっていたらいいのに。」

 あれから3年がたった。世界は何も変わっていない。というより、憎しみの連鎖は暴走し、悲しい出来事がたくさん起こった。毎日、テレビや新聞で世界の様子をを見るたびに、気が滅入る。
 そんなときは目を閉じて、「バグダット国際さわやかマラソン」の開催を想像してみよう。世界中の人々が集まって、「やっぱりバグダットは暑いですねえ」「おたくはどこから?」「アメリカです。あなたは?」「私は地元のイラクです。目標は、5時間ってことで」などと会話が飛び交い、みんなのんびり、一緒に42.195km先を目指す。・・・・
 遠い遠い未来のことかも知れないけれど、いつかきっと。愛子さまが大人になるまでは、まだ時間があるんだから・・・・。

 ・・・意識は沖縄に戻る。この島にも悲しい悲しい出来事があった。目の前に広がるこの平和な丘を、さとうきびを薙ぎ倒してアメリカの戦車が昇ってきたのは、ほんの60年前だ。信じられない。
 ここで命を落としていった子供たちは、ばかみたいに走っている僕達を見て、どう思うだろう。そのものズバリ、ばかだと思う?能天気な僕らを見て恨めしく思う?・・・いや、きっと、喜んでくれるに違いない。「この人達は何やってるんだろう。でも、良かった。今は地獄のような沖縄だけど、いつの日か、こんなに楽しそうに人々が集まる平和な島になるんだ」と。
 愛子さまが大人になったときには、同じ気持ちで、バクダットマラソンのスタートラインに立ちたい。楽しそうに世界中の人々が集まる、平和になったその町に。


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