クリスティーナの鍋
                   
                  # 油彩  キャンバス  ミクストミディア  540mm×610mm


 鍋はボコボコで油汚れがこびりついているほど良い。これは私がメキシコ人家庭をのぞき込んで見つけた真理である。
 メキシコに住み始めたころ、あるメキシコ人一家にお世話になった。あるじは銀職人で、しばらく銀細工を習いに彼の家に通っていた。そこでいつも昼食をよばれていたのだが、奥さんのクリスティーナが作る料理が素晴らしくおいしかった。食事といっても職人の貧しい家である。鶏肉と野菜のスープ、豆料理、卵焼き、それに主食であるトウモロコシで作ったクレープ状のもの。大体いつもそんなメニューだったが、そのどれもがおいしくてびっくりしたものだ。
 同じ野菜や卵を買ってきて、家で同じ料理をつくってみても、格段に味が違う。それが不思議でしようがなかった。いろいろな要因を考えてもみた。仕事をして腹が減っているからだ、人と一緒に楽しく食べるからだ、などなど。しかしそれだけでは納得できない何かがある。それをクリスティーナに聞いてみた。彼女は大きな体をゆすって照れ笑いをしながら「愛情が入っているからよ」と言う。なるほど、庶民の人情味たっぷりの家族だ。その答えもうなずけるが、どうも科学的根拠が足りない。
 お皿を片付け、手伝いがてら台所をのぞいてみた。粗末な石造りの台所。私はガス台に置かれた鍋に目がいった。いや、本当に鍋なのか?黒くて丸い容器。上のヘリの二つの穴は取っ手がとれた跡らしい。黒い色は鍋の色ではなく、長年の油汚れがこびりついたもの。それはかなり厚い。さらに容器の底の部分は、いやというほどポコポコにへこんでいる。いったい、何年間どれだけ使用すればこんな姿になるのか、と首をひねるほど原型から離れている。そしてその中には、さっき食べた卵の残りが入っていた。それを見たとたん私のなぞが解けた。
 クリスティーナがこの鍋で卵を炒っている。彼女はそこへ少量の塩をパラパラと振り入れる。鍋の内側からは長い年月をかけてこびりついた天然のだしがにじみでて、卵に味付けをしてくれる。私が新品のフライパンで同じ料理をしてもダメなはずである。
 もし、この味を知らずしてクリスティーナの鍋を見たなら、古くて汚いだけの鍋で、新しい鍋を買う余裕のない彼らの貧しさを嘆いたかもしれない。しかし、こんなにおいしい料理を毎日食べられる彼らは、じつは私よりもずっと豊かな暮らしをしていたのだ。

前へ戻る